バレエ教室の発表会も、ディナーの会もなにもかも「チャリティ」。
そして、ボランティア活動。
基本的に、ボランティア活動ってかなり気合がはいるほうではある。しかし、海外当地で、学校を通して、もしくは、なんらかの団体に呼ばれての参加を通して、いろいろと考えさせることがある。
ボランティアって、これでいいのかな
と思うところあって、ここのところ、子供たちはおくりだしても、私はちょっと遠慮しているところ。そんななか、以前から計画のあったボランティア活動に参加することになった子供たち。
「河川をきれいに」キャンペーン
子供たちの通っている学校では、イギリス・ケンブリッジのIGCSE、A-levelコース教科のなか、地理とも関連性の高い環境管理学(Environmental Management)を中学から学んでいる。その一環、また、社会貢献として、ジョホールバルの河川掃除に積極的に取り組むというプロジェクトがあり、非常に有意義なことだと思っている。
この企画のひとつとして、希望生徒たちが、チャリティー団体とともに、ジョホール州のオランアスリ村での河川清掃活動に参加。
ジョホール州の環境保全、地元住人保護の実態
この河川清掃活動が行われたカンポン・スンガイ・テモンは、タマン・パーリンの南側、ダンガベイからヌサジャヤ方面へ向かう途中のエリア、シンガポールとジョホール州間の海峡にあるカンポン(ビレッジ)。いくつかの海上レストランが並び、新鮮な魚介類を楽しめるというのが売りの場所。外国人にとっては高くはないという価格設定から、地元の人達よりもシンガポーリアンやジョホール在住のエキスパットに人気の場所。
そんな地区での今回の清掃活動は、ごみ投棄などで汚れた住居地や河川を、行政とボランティアで掃除するだけではなく、現地の住人が、自分たちできれいな環境を維持できるように意識改革をしていくべきだといった趣旨。
ボランティアの意気込み
子供たちは、オランアスリの人たちと一緒に、川や村をきれいにするのみではなく、デング熱感染の増加にもつながるごみ投棄への認識を考えながら、ずいぶんとはりきって外出。2年ほど前、学校行事の中高生旅行先がアイランドだった際、潮に乗って流れてくるゴミの溜まり場を、リゾート・スタッフとともに清掃するというおもしろい企画が。
拾ったごみを集めてリサイクリングの「ごみ筏」を作ったりと、自然を綺麗に保つという満足感だけではなく、チームに分かれて物を作り出すという達成感が非常に大きかったようで、よく話題にでていた。朝早くにはりきってでかけ、午後にもどってきた子供たち。
非常に疲れたというよりも、なんだか不機嫌。
特に、普段からどんな些細なことでも積極的に取り組み、どんな結果であれ本当にうれしそうな様子にみえる娘の怒っているような態度にはびっくり。
納得いかないのはどうして?
何事かと話をきくと、地元の人たちの中にも、清掃を手伝う人たちはいたけれど、- ほとんどの人は家屋内、庭に座り込み、ボランティアの清掃するのをみているだけ
- 窓をあけはなった家の中で、テレビをみながら配布されたお弁当を食べたとおもいきや、
- 環境に最悪なスタイロフォン製空箱を外に捨てるという行為を目の当たりにしたとのこと
- もちろん、それをみたボランティアはそのごみをひろう、と
- 殆どの家にはトヨタやホンダ車があって、
- 大きく開いた窓からは大型テレビがみえ、
マレーシアにあるオランアスリ村のなかでも、この地域は、シーフードレストランでの仕事に、駐車場料金取得で、わりと裕福な地域であるとのこと。
帰る際、このオランアスリ地域が、土地開発地帯の一部となっているため、その中止を要請して裁判中であるとの説明を受けている。
- 退去しなければいけないかもしれない場所で、環境保全など考えられないかもしれない
- しかし、まわりから流れ込んできたごみや汚水で汚れているのではなく、
- 住人が投げ捨てているごみを、本人たちではなくボランティアが掃除をしなければいけなかったというのは、まったく納得ができない、と
この清掃活動に一緒に加わったマレーシア人のクラスメイト達も、活動後我が家へ。
外国人の我が子たちだけでなく、その子たちも、地元の「ごみ捨て習慣」には慣れてはいるものの、ゴミを拾っている側からぽいっと新たなゴミを捨てられたことには、かなりあきれて怒りの声も。
外国人の我が子たちだけでなく、その子たちも、地元の「ごみ捨て習慣」には慣れてはいるものの、ゴミを拾っている側からぽいっと新たなゴミを捨てられたことには、かなりあきれて怒りの声も。
そうなのよ。そういうことなのよ、私も納得できないの
本来、地元の人達に清掃を意識してもらおうという趣旨の企画ではあったものの、- 一緒にごみを拾うことだけでは改革にはならなさそう
- 「気づく」ことが重要だとは思うものの、
- 子供時代の家庭や地域社会での大人達の影響力の大きさを改めて考えさせられる
あと、今回の件に関しては、オランアスリの村といえど、生活に何も困っていない人たちの地域でのボランティア。
これは、地域の学校レベルで教育の一環としておこなわれる「あたりまえのこと」を、ボランティアやチャリティによって「援助する」することではないよね、なんて、これまた、素朴な疑問もわいてきたようです。
前回、キャンセルとなったのは
去年、イスカンダープロジェクトの一環、そして、子供たちの学校での環境問題の一環として計画された、希望生徒たちで汚染のひどい川をきれいにキャンペーン。- その汚染のひどさから健康への影響が懸念されたこと
- 地元の人達が住むその河川地帯へ外国人が赴き環境に関して論じるなど、地元民の気分を害するであろうこと
- 少し綺麗に掃除ができたとしても、そこに居住する人達の「綺麗にしたい」という意識がない限り、何も変わらないであろう 等
「立つ鳥跡を濁さず」
きた時よりも綺麗にと、キャンプ場でもどこでも使用後は綺麗にして立ち去るというのが体に染み付いている私たち日本人。また、日本人の感覚にひじょうに近いところがあるイギリス人には、少しわかりがたいものがあるも、
- 外国人として、差し出がましいことをするもんじゃない、
- 外国人として出来ることって、それが良いことであったとしても制限がでてくるのだなと再認識させられたものの
やっぱり、ここでのボランティアってよくわからない。
何の団体ともかかわらず、自分が好きな場所を綺麗に保ちたい意識があるなら、掃除をしてまわるのが一番達成感があるのではないかと思うこのごろです。
結局のところ、
チャリティにボランティアってこっそりと、ひっそりとやるもんじゃないの?
と少しひねくれもののおばさんは、ふっと思うのです。なんか違う
こんな派手なもんじゃないっしょ、と
実は、子供たちを話をしていて、チャリティもボランティアもひっそりとやるもの!ということについて、ボランティアにはともに納得。
でも、チャリティについては、アウェアネス!まわりに気づいてもらうことで、助かることがあるのだから、なんらかの広報活動は必要だとおもうよ、ということ。
たしかに、たしかに。
問題は、その関わる団体の首脳陣をよくしらないと、なんだか、後味の悪い思いをすることも確か。
子供たちを助けるチャリティで、ものすごい勢いで子供をゆさぶっているあなた、この会の主催者ですか?とか。
目的なにか違いますよね、ということは、子供たちにも、もしくは、子供たちだからこそみえみえだったり。
ただ、10年近くのイベント参加で、なんだかいやな感じ!と思ったのは2団体のみ。どれもこれもだめってわけではありませんので、ご安心を。
基本的に、学校が直接行うことは、さすがに「無心」で充実度が高く、また、踊りの好きなわが子に関しては、踊り等を頼まれると、はいはいはい~と手弁当でどこでもいきます~といった調子で、いろんなことを学んではいる様子。
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